2012年12月5日水曜日

「こころの安全地帯」とストレス社会


ゲスト/医療法人社団五稜会病院 千丈 雅徳 院長

 日本ハムファイターズは惜しかったですね。でも、ダルビッシュが大リーグに行ったり、若い人が監督になったりして、大丈夫かなあと思っていたので、こんなに頑張るとは驚きでもあります。想定外のうれしい誤算です。ですから、よくやった、頑張った、という気持ちでいっぱいです。 日本ハムファイターズが札幌ドームを本拠地としてから、私たちはたくさんの夢をもらってきました。本当に感謝ですね。
 ところで私たちが、このストレスあふれる社会の中で生き抜いて行くために大切なのは、札幌ドームならぬ、「こころの安全地帯」です。 傷ついた心を癒やし、今日の出来事をみんなで一緒に喜び、あるいは泣いて、そして、スッキリして、明日からまた一歩踏み出す、そんな「こころの安全地帯」が必要です。
 先行き不透明な社会情勢の中、厳しい現代を生きている私たちは、何げない毎日を送っていくだけでも緊張と不安、恐怖の連続です。「こころの安全地帯」とは、そうした不安感や強い緊張感に支配されても、いつでも逃げ込める場です。ホッと安心して休んで、優しい言葉掛けをしてくれる気心の知れた人が居て、痛みそうなこころを癒やしてくれる場。混乱した考えを整理して、なあんだ、何とかなりそうだ、という気持ちにしてくれる場。そして、世の荒波に立ち向かって行こうという勇気を与えてくれる場です。そんな場があってこそ、先の見えないこの社会の中に不安感を持ちながらも立っていることができます。
 イギリスの精神分析医のジョン・ボウルビィが、愛着理論の中で、セキュア・ベース(こころの安全基地)という概念を出しました。「安全基地」は単なる場だけではなく、2歳前後の子どもに対する母親などの養育者との安心感に満ちた人間関係をも意味します。1歳を過ぎた子どもは母親から離れ、自分の力で歩いて周りの世界に好奇心をもって探検し始めますが、不安や恐怖もあります。そこで、子どもは母親を「安全基地」にしながら、外の世界に出て行き、不安になったら母親の所に戻る、ということを繰り返し、やがて母親から離れて自立していきます。「安全基地」は幼い時期に特徴的な言葉として用いられますが、現代社会では、大人も同じように「安全基地」ならぬ、「こころの安全地帯」が必要なのです。
 あなたは「こころの安全地帯」を持っていますか?「こころの安全地帯」は結婚相手や家族や昔からの友達以外でも、今日から、ここから広げていくことは可能です。ネットでの関係もリスクを伴うでしょうが、時には賢く利用してもよいでしょう。しかし、あまり多くの人と知り合ってかえって煩わしくなるのも考えものです。また、「こころの安全地帯」は特定の一つに限定しないことも大事です。いつも離れずにベッタリくっついている関係は、やがて、息苦しいものになったり、予期せぬ嫌な感情が生じる危険性があります。
 なかなか安全な「こころの安全地帯」を持てない場合は、お近くの心療内科や精神科でカウンセリングという形で行われている安全な治療手段を利用されるのも一案かもしれませんね。

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